死について考える

Life
Person growing up from baby to old age.

生きている中で死について考えた経験はありますか。

誰しも今まで生きてきた中で、周りの誰かを失ってしまった経験はあるかと思います。

ただ、自分がいつかその経験をするといった視点で考えることはあまりないですよね。

僕自身もそうです。

日常生活を送っていると、何かしら目標を決めるけど、毎日それを継続することができないことって多い。つまりは三日坊主ですね。

その目標を決めたにも関わらずそれを無しえないのはなぜかと考えると、目標の期日を過ぎたとしても、また、チャレンジしてやればいい。いつでも取り返しができると考えているからです。

つまり、目標を設定し、それを実現してよりよい人生を築き上げていくためには、終わりを意識する必要があります。それは”死”です。

全人類、いや全生物には命があり、そして死が必ず訪れます。これだけは誰しも避けることはできません。

死があるということはそこから逆算し

  • なにがしたいのか。(会社を設立して悠々自適に生活したい。家族で海外旅行をするなど。)
  • いつまでにしたいのか。(何歳までに稼いでフリーになる。部長に〇〇歳までになる。)

このような目標を設定し、現状と課題を設定すれば、おのずと期限というものに信憑性が増し必ず達成しなければやりたいことをすべて成し遂げることができないということになります。

このモチベーションこそが目標を達成するため、成功するために必要なエネルギーとなると思います。

そこで今回は”死”について掘り下げて考えてみます。

1 死は怖くない

死が怖いと思う理由

よく理解していないものだから怖いというもの。

まず、個人レベルで死んだあとどのようになるかが怖いという方は多いと思います。

筆者は魂などはなく、肉体から分離したあとも生き続けることはないと考えています。

つまり、死とは夢を見ないで眠っている状態と似ていて、完全に無の状態です。

例:自分がお母さんのお腹の中にいた胎児だった時、無の状態だったけどその時の状態を覚えていないし、恐れてもいなかったということは死も同じような状態ということ。

自分がいなくなった後の世界についても気になる

私を含めて、皆さんの中の1人が明日亡くなったとしても、毎日出社している会社やサークルなどの組織には影響は非常に小さいと筆者は書き記しています。

なぜなら、変化があれば組織はそれを補うべく代わりを用意し、すぐに元の状態へ戻ろうとするからです。迷惑をかける心配はないと思います。世界レベルでみるともっと影響ありません。

つまりは、死は特別ななにかではなくて、時期と考えるべきだと思います。

そのため感覚として死と似た現象を私たちはすでに経験しているとのことです。

胎児期 ⇒ 小学生期 ⇒ 思春期 ⇒ 死(人格をもたない無の時期)

なので、”死”をあいまいな理由で考えることを避けるのはメリットはないです。

2 それでもなぜ死が怖いと人は感じるのか

今、死というものが

  • どのようなものなのか
  • どのような影響があるか

という内容を説明しました。ただ、その内容を理解したところでやっぱりまだ怖いと思っているのではないでしょうか。私も同じ気持ちです。正直、怖いです。

ただこの内容についても本書では言及しております。

なぜ怖いのかをずばり言うと『剥奪説』で説明ができます。

これはなにかというと、

今、死んでいなければもっと良い人生があったはずなのに・・・

 その未来の出来事を奪われてしまった。

という考えを皆さんが持っているから、死が自分に訪れると怖いと考えてしまうというものです。

たまに90代のおじいちゃん、おばあちゃんで何もやり残したことはない。と達観している方々は、仮に未来がなくなったとしてもすでに自分がやりたいと思ったことをやりきっていますので、いつ死んでも怖くないと思える人もいらっしゃるかもしれません。

この考えを整理すると、

  • 未来に楽しいことが待っていると考える方は、死が怖く感じる。
  • 未来に辛いことが待っていると考える方は、生きるのが怖く感じる。

というのが剥奪説という考えです。

いかがですか。この考えには非常に共感するところがあります。

ただ、死を怖く感じる理由はわかったけど、2つの疑問が湧いてきます。

1つ目はじゃあどうすれば怖い死を避けることができるのか。
2つ目は楽しいことがない人は自殺しちゃうんじゃないか。

この内容についてこれから考えていきます。

じゃあどのようにすれば楽しく生きれるのか。

先ほど言及したように、死を怖いと感じるのは死という事実が怖いのではなくて、死によって今の自分が想像し得る楽しい未来が奪われてしますからだと説明しました。

であれば、どのようにすれば怖い死を恐れないようにできるかについて考えます。

まず、できることとして、漠然とやりたい内容や楽しい時間を紙に書き出しをおススメします。このメリットとして頭の中を整理でき、あいまいなことに対する不安を払拭出来ます。

そのあとに重要なのは、その出来ごとをどのようにすれば達成できるかという課題や手段についてブレイクスルーを行ってください。すると曖昧な目標から具体的で実行可能なものになります。

そしてそれを日々実行していくことが大事です。

ただ、頭の良い方はここでピンと来ているはずです。

目標を決めて将来の理想のために日々努力していると途中で死によってその未来が奪われてしまう方がもっと怖くなるのではないか。という疑問です。

ここが死を考えて行動をすることの最大のメリットだと気づきました。

ここで重要なのは、具体的な目的を決めて行動したことによって、より不安を感じるようになった。つまりは時間の大事さ・重要性を誰よりも感じているということです。

私個人的な考えでは、死は避けられないものと理解して、やりたいことをその期間内にどれだけ消化できるかが大事なのではないかと考えます。

やり抜いてやり抜いて、それでも死ぬときに

「まだ、〇〇がしたかった」と言える人生こそが充実だと思います。

なので死と向き合って、とことんやりたいことを探して、それに向かって突っ走るのが最高の人生だと思います。

  • やりたいことリストを書き出す。※非現実的なものも含めて               ⇒深く考えずに沢山書き出すことを意識
  • リストの優先順位、準備の可否、期間等で仕分けを行う。
  • 細かく手段、費用を書き記していく※具体的に記載すること。
  • あとは日々実践あるのみ。                              ⇒習慣化するコツ、やる気がなくなったら最初のステップに戻る。

3 その他(自殺について)

最後に少しだけ触れた自殺について話そうと思います。

これからの未来がずっと悪いことが起こり続けると自殺したい考えるようになるという内容について言及しました。

これは非常にセンシティブなテーマですので私の考えより本書の内容を中心にまとめて行きます。

著者は自殺についてはケースバイケースであり、すべてを否定するものではないと書かれています。この場合は道徳的な観点を除いた場合に以下の内容が当てはまります。

  • 末期がんでこの先絶対に良くならないと判断され、本人がとても苦しんでおり実施する場合

このような場合にむやみやたらに自殺を否定することはできないと。なぜなら、先ほどの剥奪説と併せて考えてみると、今後変わることのない未来(辛い)が永遠と続き苦しむのならば、その選択も悪ではないというものです。

ただ、この剥奪説を安易に用いて自殺を考えることについては否定しております。

例えば、

  • 学校でのいじめ
  • 会社で左遷、リストラ
  • 借金を抱えている状態 などがあります。

このような状態は現状という時点みると確かに辛いし苦しいと思います。

ただこの状況というのは、未来永劫続くものではないです。環境や時間の経過によって未来を明るいものへ導くことは可能だからです。その辛い時点で判断するのではなくて、未来には今の辛い内容なんかよりも楽しいことを自分で選んで築きあげることができると思います。

辛い時期を乗り越えて楽しい時期まで頑張るしかありません。

ただ、辛い経験は他の人にはない経験かもしれませんので強味にもなります。

そのような方がいれば、前向きに頑張ってください。

4 終わり

今回は死についてまとめてみました。少しでも死を身近に感じて、自分の大切な時間という財産に気づいて頂ければと思います。やりたいことがないってすぐ言う人がいます。そんなことはないと思います。明日死ぬかもしれないとなれば、すぐに思いつくはずです。ただそのタイミングで気づいても遅いし、できることは限られてしまいます。

なので、今、死について考え人生プランを再構築してみてはいかがでしょうか。

ではでは。。。


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